チェルノブイリ博物館 [2016東欧]
本当にこの日はツアーのように忙しい一日。
二泊三日でキエフを十分堪能すべく予定組むとなると、この日の午後だけで
二本のアクティビティをこなさざるを得ず、というツアー並みの慌ただしさ(;^_^A
キエフに着いたのが午後2時。
送迎頼んでいたのでアパートに3時過ぎに到着。
市内に行くにはバスか地下鉄とバスの乗り継ぎ?なんですが、
いずれにしてもアパートのある場所は、微妙に最寄りの三号線の Palats sportu駅からも地図上では遠い気がして、まったく到着の時間が読めなかった。だからアパートのオーナーのアンナから送迎を提案されたときに350UAH(日本円で大体1500円弱)と言われて、ちょっと高いかなぁとも思ったが(物価比)でも買えるものなら時間を買うべきと思い、喜んでご厚意に甘えた。
これが大正解。
今回SIM無で済まそうと思っているから、ちゃんとした連絡方法がなかったので。
アパートだとチェックインに本当に手間取ること多いんですが、こうやって送迎込なら全くストレスフリーなんですね~(^^♪
この奥のレンガの建物が今宵の宿
アパートの入り口。
ほんとうにごくごくフツーの住宅。
アパートの玄関。二重扉になっています。
こんな感じ。
他にベッドルームとキッチンとバストイレがあります。
無駄に広いです。家具が最低限なせいえそう感じるのかもしれませんがw
なんなら自分の家より広い気がします(笑)多分70㎡位。
値段も激安。たしか一泊3500円しなかった。
いつも予約サイトで高評価のところで値段が安くてというのを探すようにしているのですが、
それにしても安い。この安さはあんまり立地が良くないせいか?とも思ったが、
地下鉄駅まで迷わなければ徒歩10分位。う~ん、自分的にはちょっと遠い、、、、
でも超近くに大きなショッピングモールがあるのでよく考えるとやっぱり高評価もらって妥当なそんなアパートだった。
もちろんオーナーのアンナもすごくいい人で予約後すぐに英語でメッセージよこしてやりとりもスムーズだったし(^^)もし再訪するなら絶対ここかなぁと思っている。
荷物解くのもほどほどに、そう、日照時間少ないのでさっさと行動に移さねば!
駅へ行く途中。天気悪~薄暗~
今日はにわか雪が降った程度ですが
12月1日にして、既に雪が歩道に溶けずに残っています。
地下鉄乗り継いで、大体到着したのが4時半過ぎ。
チェルノブイリ博物館です。
元々消防署の建物だったらしい。
行った当時はなかったけど、今は日本語のサイトもあります
http://chornobylmuseum.kiev.ua/ja/mainpage-2/
ガイドレシーバーも日本語があります。50UAHなので絶対借りるべきでしょう
二階が展示室になっています。その二階への階段。
リンゴの木がモチーフになっています。
手前にはこいのぼりも見えます(詳細は後述)
この辺からなんだか段々胸が重苦しくなってきます
ガイドレシーバーの案内がまず上手です。
海外にありがちな、変な翻訳じゃなくてちゃんと日本語でもおかしくない言い回し、表現なので思わず聞き入りますし、情景が目に浮かぶようです。
当時の救助や作業を行った方々の防護服等です。
4号炉。
当時の報道。
ニューヨークタイムス(左下)が一面で大きく扱っているにもかかわらず、当時のソ連では確かこの赤枠の中に短く述べられているのみ。
ここ最近の日本のようです(# ゚Д゚)
その何年か後の放射能被害について。
左上は確か奇形の豚
当時のガイガーカウンター等
放射能が拡散した様子。日本の技術協力があるんですね。
現在稼働あるいは休止中の世界の夥しい数の原発
日本の狭い国土にこんなにたくさんの、、、、、
本当に、当時の作業の従事した方々は何にも知らないで従事させられたわけで、
今も多くの方が放射能の後遺症に苦しんでいるわけで、
ずっとでした。
こういう事実があるのにいまだに原発再稼働とか考えている日本って!
311のような大惨事があったのに、海外の先進国に原発を売り込む日本って!
ほんとにどうかしていると思う?(?`^´?)?
もう閉館時間近かったし、冬なので見学者は私と欧米の青年一人のみ。
で、我々が見終わったブースはすぐさま照明消していくというね(笑)
最後に1階に戻ると福島のブースがあります。
そう、双方の未曽有の悲劇がきっかけで福島とは交流があるんですね。
“桜の枝 - 煙の美女
この枝に歩み寄って、優しく抱きしめる、
チェルノブイリからよろしくと伝えておく。
桜が息で返事する。全世界が悲しみに暮れ、
皆が心配になり、祈りが天国まで響く。
その中にわたしたちの声:私たちはあなたと共にいる。
桜 ? 私たちの姉妹。
傷が癒されるように祈りを捧げている。
あきらめないで!
あなたの兄弟 キエフの栗の木より”
う~ん、311で自分の田舎がコテンパンにやられたこともあり、
福島に住む親せきなどもいることから、
なんだか本当にぐっとくるものがあった
二泊三日でキエフを十分堪能すべく予定組むとなると、この日の午後だけで
二本のアクティビティをこなさざるを得ず、というツアー並みの慌ただしさ(;^_^A
キエフに着いたのが午後2時。
送迎頼んでいたのでアパートに3時過ぎに到着。
市内に行くにはバスか地下鉄とバスの乗り継ぎ?なんですが、
いずれにしてもアパートのある場所は、微妙に最寄りの三号線の Palats sportu駅からも地図上では遠い気がして、まったく到着の時間が読めなかった。だからアパートのオーナーのアンナから送迎を提案されたときに350UAH(日本円で大体1500円弱)と言われて、ちょっと高いかなぁとも思ったが(物価比)でも買えるものなら時間を買うべきと思い、喜んでご厚意に甘えた。
これが大正解。
今回SIM無で済まそうと思っているから、ちゃんとした連絡方法がなかったので。
アパートだとチェックインに本当に手間取ること多いんですが、こうやって送迎込なら全くストレスフリーなんですね~(^^♪
この奥のレンガの建物が今宵の宿
アパートの入り口。
ほんとうにごくごくフツーの住宅。
アパートの玄関。二重扉になっています。
こんな感じ。
他にベッドルームとキッチンとバストイレがあります。
無駄に広いです。家具が最低限なせいえそう感じるのかもしれませんがw
なんなら自分の家より広い気がします(笑)多分70㎡位。
値段も激安。たしか一泊3500円しなかった。
いつも予約サイトで高評価のところで値段が安くてというのを探すようにしているのですが、
それにしても安い。この安さはあんまり立地が良くないせいか?とも思ったが、
地下鉄駅まで迷わなければ徒歩10分位。う~ん、自分的にはちょっと遠い、、、、
でも超近くに大きなショッピングモールがあるのでよく考えるとやっぱり高評価もらって妥当なそんなアパートだった。
もちろんオーナーのアンナもすごくいい人で予約後すぐに英語でメッセージよこしてやりとりもスムーズだったし(^^)もし再訪するなら絶対ここかなぁと思っている。
荷物解くのもほどほどに、そう、日照時間少ないのでさっさと行動に移さねば!
駅へ行く途中。天気悪~薄暗~
今日はにわか雪が降った程度ですが
12月1日にして、既に雪が歩道に溶けずに残っています。
地下鉄乗り継いで、大体到着したのが4時半過ぎ。
チェルノブイリ博物館です。
元々消防署の建物だったらしい。
行った当時はなかったけど、今は日本語のサイトもあります
http://chornobylmuseum.kiev.ua/ja/mainpage-2/
ガイドレシーバーも日本語があります。50UAHなので絶対借りるべきでしょう
二階が展示室になっています。その二階への階段。
リンゴの木がモチーフになっています。
手前にはこいのぼりも見えます(詳細は後述)
この辺からなんだか段々胸が重苦しくなってきます
ガイドレシーバーの案内がまず上手です。
海外にありがちな、変な翻訳じゃなくてちゃんと日本語でもおかしくない言い回し、表現なので思わず聞き入りますし、情景が目に浮かぶようです。
当時の救助や作業を行った方々の防護服等です。
4号炉。
当時の報道。
ニューヨークタイムス(左下)が一面で大きく扱っているにもかかわらず、当時のソ連では確かこの赤枠の中に短く述べられているのみ。
ここ最近の日本のようです(# ゚Д゚)
その何年か後の放射能被害について。
左上は確か奇形の豚
当時のガイガーカウンター等
放射能が拡散した様子。日本の技術協力があるんですね。
現在稼働あるいは休止中の世界の夥しい数の原発
日本の狭い国土にこんなにたくさんの、、、、、
本当に、当時の作業の従事した方々は何にも知らないで従事させられたわけで、
今も多くの方が放射能の後遺症に苦しんでいるわけで、
ずっとでした。
こういう事実があるのにいまだに原発再稼働とか考えている日本って!
311のような大惨事があったのに、海外の先進国に原発を売り込む日本って!
ほんとにどうかしていると思う?(?`^´?)?
もう閉館時間近かったし、冬なので見学者は私と欧米の青年一人のみ。
で、我々が見終わったブースはすぐさま照明消していくというね(笑)
最後に1階に戻ると福島のブースがあります。
そう、双方の未曽有の悲劇がきっかけで福島とは交流があるんですね。
“桜の枝 - 煙の美女
この枝に歩み寄って、優しく抱きしめる、
チェルノブイリからよろしくと伝えておく。
桜が息で返事する。全世界が悲しみに暮れ、
皆が心配になり、祈りが天国まで響く。
その中にわたしたちの声:私たちはあなたと共にいる。
桜 ? 私たちの姉妹。
傷が癒されるように祈りを捧げている。
あきらめないで!
あなたの兄弟 キエフの栗の木より”
う~ん、311で自分の田舎がコテンパンにやられたこともあり、
福島に住む親せきなどもいることから、
なんだか本当にぐっとくるものがあった
2016-12-01 23:31
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