詳報 チェルノブイリ原発ツアー 下 [2016東欧]
このへんからプリピャチの町を見学します。
もう30年も経つと、全体に線量が高いわけではなくて
部分的に高い地域があるという程度。
ガイドさんは高い地域を熟知していて、わざとそこでガイガーカウンターかざして
みんなをビビらせるみたいな。
そして唯一東洋人の自分をいじるみたいな流れ(笑)
ひどいところは6台のところもある〓
幼稚園
まぁ廃墟ですね。
他の人のブログでもそういった記述があったんですが、
今のこのプリピャチが、チェルノブイリの悲劇の産物なのか、
それともあれから30年の時の流れがもたらしたものか、
なんとも言えないです。
言い換えれば、廃墟廃墟してるけど、
原発の爆発云々がなくても30年もたっていればどこだってこんなかんじなのだろうと。
次にやっと4号機に向かいます。
行く途中、今もこうやってたくさんの作業車両が行き来しています。
因みにここで働く人たちは週5日働いて週末は休み、年で3カ月はヴァケーションがある。で、給与はかなりの高水準なのだと。
“だけど私はやりたいとは思わないけどね~”と、ガイドさんは言っていました。
ただの廃墟じゃなくて、ただ感傷に浸るじゃなくて、
今も目には見えない放射能と戦っているということ。
これが我々が一番4号機の作業中の側に近づけた地点。
線量の関係か、技術上の観点か、つまり近くでは見れないんですね~
作業が終わって完璧に覆われている側
線量はそんなじゃないですね
湖。説明よく聞いてなくて、これがどんな目的のものかいまいちわからず(:_;)
プリピャチの町。
スーパー。事故当時強奪されたのでしょうか。。。。
いかにも旧共産圏ですね(笑)
遊園地。
なんてことないっぽいですが、実は未踏の地を歩いているので既にドライバーガイド以外
足元ビシャビシャです(-_-;)
まだ4時前ですが、まっくらです
昼ごはん食べたレストランでトイレ休憩
最後に参加した全員が体の残留放射能をチェックします。
ここでも私はからかわれて“ここに泊って行かないと(笑)”とか言われます。
実はこの日、ホカロンを大[×]1 小[×]2持っていきました。
こんな厳冬なので、お昼くらいまでは、私以外の女性参加者に一個づつ進呈しようかなぁとおもっていたけど、言いそびれ忘れていました。
だけど、この時点で足ビシャビシャとりあえず靴下脱いで足の底を小さいホカロンで温めないと
とてもじゃないが寒さしのげずという感じ。いい人ぶってホカロンやらなくてよかったなぁと。
そんなこんなで帰りの車中はみんな寝ています。
夜の独立広場。一日中雪降り
地下鉄の駅から地上に出たところ。マックなどもあり
今宵の晩御飯は近くのショッピングモールで買ったパエリア。フツーに。
もう30年も経つと、全体に線量が高いわけではなくて
部分的に高い地域があるという程度。
ガイドさんは高い地域を熟知していて、わざとそこでガイガーカウンターかざして
みんなをビビらせるみたいな。
そして唯一東洋人の自分をいじるみたいな流れ(笑)
ひどいところは6台のところもある〓
幼稚園
まぁ廃墟ですね。
他の人のブログでもそういった記述があったんですが、
今のこのプリピャチが、チェルノブイリの悲劇の産物なのか、
それともあれから30年の時の流れがもたらしたものか、
なんとも言えないです。
言い換えれば、廃墟廃墟してるけど、
原発の爆発云々がなくても30年もたっていればどこだってこんなかんじなのだろうと。
次にやっと4号機に向かいます。
行く途中、今もこうやってたくさんの作業車両が行き来しています。
因みにここで働く人たちは週5日働いて週末は休み、年で3カ月はヴァケーションがある。で、給与はかなりの高水準なのだと。
“だけど私はやりたいとは思わないけどね~”と、ガイドさんは言っていました。
ただの廃墟じゃなくて、ただ感傷に浸るじゃなくて、
今も目には見えない放射能と戦っているということ。
これが我々が一番4号機の作業中の側に近づけた地点。
線量の関係か、技術上の観点か、つまり近くでは見れないんですね~
作業が終わって完璧に覆われている側
線量はそんなじゃないですね
湖。説明よく聞いてなくて、これがどんな目的のものかいまいちわからず(:_;)
プリピャチの町。
スーパー。事故当時強奪されたのでしょうか。。。。
いかにも旧共産圏ですね(笑)
遊園地。
なんてことないっぽいですが、実は未踏の地を歩いているので既にドライバーガイド以外
足元ビシャビシャです(-_-;)
まだ4時前ですが、まっくらです
昼ごはん食べたレストランでトイレ休憩
最後に参加した全員が体の残留放射能をチェックします。
ここでも私はからかわれて“ここに泊って行かないと(笑)”とか言われます。
実はこの日、ホカロンを大[×]1 小[×]2持っていきました。
こんな厳冬なので、お昼くらいまでは、私以外の女性参加者に一個づつ進呈しようかなぁとおもっていたけど、言いそびれ忘れていました。
だけど、この時点で足ビシャビシャとりあえず靴下脱いで足の底を小さいホカロンで温めないと
とてもじゃないが寒さしのげずという感じ。いい人ぶってホカロンやらなくてよかったなぁと。
そんなこんなで帰りの車中はみんな寝ています。
夜の独立広場。一日中雪降り
地下鉄の駅から地上に出たところ。マックなどもあり
今宵の晩御飯は近くのショッピングモールで買ったパエリア。フツーに。
チェルノブイリ原発ツアーはこんな感じ 上 [2016東欧]
ウクライナに来た一番の目的地。チェルノブイリ。
チェルノブイリは、かの有名な4号炉が新しい最新型のシェルターに覆われるという情報があったので、できれば完璧に覆われる前に(11月末)来たかったんだけど、特典航空券の取れる日とか、いろんなイベントの日程とか勘案して、結局ポーランドを中抜けして、12/2に行くことにした。
ツアーはソロイーストツアー https://www.tourkiev.com/
ネットで予約ができます。大体100ドル。参加人員により値段が多少増減します。もちろん英語でのツアーです。
だけど、中国現地ツアーに参加して度胸はついたし(少なくとも中国語ではなく英語なので敷居は高くないはず)、前日にチェルノブイリ博物館で予習したし、そもそも関心のあった事柄なので全く問題ないだろうと、このツアーにしました。
これが仮に日本語だとネットで見たら65000円するらしいΣ(・□・;)
http://activities.his-j.com/TourLeaf/IEV0001.htm ありえない!
朝起きてなんだか寒いなぁと思ったら雪。
体感気温-12度とのこと。どおりで寒いわけだ。
集合場所は革命広場近くの Kozatskiy hotelの前。 集合時間は08:15
雪っぷりなので、遅れちゃ大変と思い準備もそそくさとアパートを出る。
すごい雪だ。一応ショートブーツに防水スプレー振ってきたけど、ちょっとヤバいかな。
昨日ちゃんと駅から帰ってこれたのに、それは夜だったし、こう雪が降っていたりすると
まったく景色が違うので、正直迷いました。
でもさすがに通勤途中の人に道を聞くのは憚られ(自分がもしそうなら対応できないし)
雪かきしているおじちゃん、おばちゃんに駅の名前だけ言って、方角だけ教えてもらう(笑)
どうにかこうにかたどり着いたピックアップポイント。
既にバスというかバンが待機中。
勝手におんぼろのバス(極東ロシアではそれが当たり前だったので)想像していたら、全然立派だった。
てか、自分自身2~3分遅れだったんだけど、この時点で誰も来ていないという、、、、
やはりこの天候なのでみんなフツーに遅れます。で、20分後に全員揃って出発。
メンバーは、わたくし、コロラドから来た40代と思しき女性、アイルランド人のおじさま、スイス人の青年 以上おひとり様。フランス人のカップル、アメリカ人の若者三人組、アメリカ人の二人組 計11名プラスドライバー、ガイドという構成。
さすがに東洋人一人なのでアウェイ感あります(笑)
ガイドさんの英語はまったく聞き取れないということでもなかった。もちろん概要わかっているからなんとか頑張って7割聞き取れるレベルです。
ガイガーカウンターレンタルしました。これがキエフ市内での値。
因みに東京で普通は0.02ミリシーベルト位。
雪の降りしきる独立広場
キエフ郊外でトイレ休憩。車内での飲み物食べ物はここで買えとのこと。
このツアーに参加するにはパスポート必携。
車の中で2~3の書類にサインさせられて、昔ここがどうであったかというビデオが流れます。このへんは昨日博物館で見て泣いたのでむしろ森閑とした雪景色を見てました。
チェルノブイリの入り口で、警官のようなひとが乗ってきて我々のパスポートをチェックします。
他にもう一社ツアーがあった模様。
てか時々彼らと遭遇したのですが、彼らの中にも自分のように東洋人の若い男が一人参加していまして、私同様皆さんにかまってもらっている感じでした(^^♪
ここがパスポートチェックするゲート。
村の入り口
メモリアル公園
有名な天使がラッパを吹く像
この小道の両側に文字の書かれたプレートがずらっと並んでします。原発事故で消滅してしまった村などの居住地の名前が書かれているとのこと。
廃墟
これも廃墟?にしては状態がいいとおもったら後で調べたらまだ教会として祭事が行われることがあるとのこと。でも中には入れません
この日はプリピャチの町に行く前にランチです。
“大丈夫、食材は一切キエフから運んだものですから”とのこと。
スープ。個人的に超おいしいと思った。
それ以外写真撮らなかったけど、メインがローストポーク。ちょっと固かったけど普通に美味しかった。それとデザート。
一応ベジタリアン用のメニューもありました。
食事はというと、、、、おひとり様がみんな一つのテーブルに座って、皆さんはフツーにネィテイブ、スイス人もフツーに英語話します。私はというとそんなについていけないから、10回に一回位話を振ってもらえる程度(-_-;)てか、こんなところにおひとり様で来る人たちなので(自分は違うけど)知的レベルが高いのか仕事関係のことばっかり話していましたね~スイス人がなにかのプラントで働いていて、その給料がどうとか、アメリカだったらその仕事でどのくらいもらえるとかそんな話でした
トイレの洗面所
私はフツーに手を洗っちゃいましたが、アメリカ人女性は放射能きにしているのか、手も洗いませんでしたね。
食事のあと、まずは廃墟の数々をみに行きます。
有名な冷戦時代のミサイル感知器。かなり巨大で珍しい建物ですね
ここでの線量もまぁ序の口
コパチ村幼稚園へ。
ここぞとばかりにガイドさんが線量を測れと。
おっと!( ゚Д゚)
下へ続く。
チェルノブイリは、かの有名な4号炉が新しい最新型のシェルターに覆われるという情報があったので、できれば完璧に覆われる前に(11月末)来たかったんだけど、特典航空券の取れる日とか、いろんなイベントの日程とか勘案して、結局ポーランドを中抜けして、12/2に行くことにした。
ツアーはソロイーストツアー https://www.tourkiev.com/
ネットで予約ができます。大体100ドル。参加人員により値段が多少増減します。もちろん英語でのツアーです。
だけど、中国現地ツアーに参加して度胸はついたし(少なくとも中国語ではなく英語なので敷居は高くないはず)、前日にチェルノブイリ博物館で予習したし、そもそも関心のあった事柄なので全く問題ないだろうと、このツアーにしました。
これが仮に日本語だとネットで見たら65000円するらしいΣ(・□・;)
http://activities.his-j.com/TourLeaf/IEV0001.htm ありえない!
朝起きてなんだか寒いなぁと思ったら雪。
体感気温-12度とのこと。どおりで寒いわけだ。
集合場所は革命広場近くの Kozatskiy hotelの前。 集合時間は08:15
雪っぷりなので、遅れちゃ大変と思い準備もそそくさとアパートを出る。
すごい雪だ。一応ショートブーツに防水スプレー振ってきたけど、ちょっとヤバいかな。
昨日ちゃんと駅から帰ってこれたのに、それは夜だったし、こう雪が降っていたりすると
まったく景色が違うので、正直迷いました。
でもさすがに通勤途中の人に道を聞くのは憚られ(自分がもしそうなら対応できないし)
雪かきしているおじちゃん、おばちゃんに駅の名前だけ言って、方角だけ教えてもらう(笑)
どうにかこうにかたどり着いたピックアップポイント。
既にバスというかバンが待機中。
勝手におんぼろのバス(極東ロシアではそれが当たり前だったので)想像していたら、全然立派だった。
てか、自分自身2~3分遅れだったんだけど、この時点で誰も来ていないという、、、、
やはりこの天候なのでみんなフツーに遅れます。で、20分後に全員揃って出発。
メンバーは、わたくし、コロラドから来た40代と思しき女性、アイルランド人のおじさま、スイス人の青年 以上おひとり様。フランス人のカップル、アメリカ人の若者三人組、アメリカ人の二人組 計11名プラスドライバー、ガイドという構成。
さすがに東洋人一人なのでアウェイ感あります(笑)
ガイドさんの英語はまったく聞き取れないということでもなかった。もちろん概要わかっているからなんとか頑張って7割聞き取れるレベルです。
ガイガーカウンターレンタルしました。これがキエフ市内での値。
因みに東京で普通は0.02ミリシーベルト位。
雪の降りしきる独立広場
キエフ郊外でトイレ休憩。車内での飲み物食べ物はここで買えとのこと。
このツアーに参加するにはパスポート必携。
車の中で2~3の書類にサインさせられて、昔ここがどうであったかというビデオが流れます。このへんは昨日博物館で見て泣いたのでむしろ森閑とした雪景色を見てました。
チェルノブイリの入り口で、警官のようなひとが乗ってきて我々のパスポートをチェックします。
他にもう一社ツアーがあった模様。
てか時々彼らと遭遇したのですが、彼らの中にも自分のように東洋人の若い男が一人参加していまして、私同様皆さんにかまってもらっている感じでした(^^♪
ここがパスポートチェックするゲート。
村の入り口
メモリアル公園
有名な天使がラッパを吹く像
この小道の両側に文字の書かれたプレートがずらっと並んでします。原発事故で消滅してしまった村などの居住地の名前が書かれているとのこと。
廃墟
これも廃墟?にしては状態がいいとおもったら後で調べたらまだ教会として祭事が行われることがあるとのこと。でも中には入れません
この日はプリピャチの町に行く前にランチです。
“大丈夫、食材は一切キエフから運んだものですから”とのこと。
スープ。個人的に超おいしいと思った。
それ以外写真撮らなかったけど、メインがローストポーク。ちょっと固かったけど普通に美味しかった。それとデザート。
一応ベジタリアン用のメニューもありました。
食事はというと、、、、おひとり様がみんな一つのテーブルに座って、皆さんはフツーにネィテイブ、スイス人もフツーに英語話します。私はというとそんなについていけないから、10回に一回位話を振ってもらえる程度(-_-;)てか、こんなところにおひとり様で来る人たちなので(自分は違うけど)知的レベルが高いのか仕事関係のことばっかり話していましたね~スイス人がなにかのプラントで働いていて、その給料がどうとか、アメリカだったらその仕事でどのくらいもらえるとかそんな話でした
トイレの洗面所
私はフツーに手を洗っちゃいましたが、アメリカ人女性は放射能きにしているのか、手も洗いませんでしたね。
食事のあと、まずは廃墟の数々をみに行きます。
有名な冷戦時代のミサイル感知器。かなり巨大で珍しい建物ですね
ここでの線量もまぁ序の口
コパチ村幼稚園へ。
ここぞとばかりにガイドさんが線量を測れと。
おっと!( ゚Д゚)
下へ続く。